宮城県亘理町の郷土料理・ご当地グルメ
はらこ飯(はらこめし)は、かつての名将軍、伊達政宗が好んで食したといわれる、鮭の親子丼です。親子丼とは、ご飯の上に鮭の身とはらこ(イクラ)を乗せたもので、仙台駅や盛岡駅などの駅弁としてもお馴染みです。
はらこ飯の名前の由来は、鮭の卵が「いくら」で、それがつながっているのが「筋子」ですが、これを総称して、鮭の腹にある子供、つまり「はらのこ」あるいは「はらこ」という語源からきているとされています。
宮城県内を流れる阿武隈川の河口付近の亘理地方(亘理町荒浜)では、古くから鮭の地引網漁が盛んでした。江戸時代にこの地の領主となった伊達政宗が阿武隈川の堤防修繕の視察に亘理地方を訪れた際に、地元の漁師から、はらこ飯が献上されたと言う伝説があります。
なお、はらこ飯は、各TVメディアで放映されたことで、今では全国区的に知られていますが、駅弁としての歴史も古くからあります。
盛岡駅は、かつては東北新幹線の終着駅で、盛岡駅は、八戸や青森方面の特急に乗り継ぐターミナルで、ここで人気のあった駅弁でした。
はらこ飯発祥の地である亘理町(わたりちょう)は、宮城県南部の太平洋沿岸、阿武隈川の河口にある町で、温暖な気候のため果樹や花卉栽培が盛んで、今では特にイチゴが名産です。
この亘理町出身の著名人はと見てみますと、漫才師の宮城けんじ(Wけんじ)がいます。宮城けんじは、1960年代を中心に活躍しました。その芸の売りは、テンポの速いしゃべりに、ロイド眼鏡のとぼけた感じの相方の東のボケと、宮城のキレのあるツッコミで人気を博しました。「やんなっ!」とか「バカだなぁ?」などの流行ギャグで一世を風靡し、全盛期にはヘリコプターで移動して舞台を掛け持ちしたほどだったそうです。
なお、亘理町で忘れてはならないのは、2011年3月11日の東日本大震災でしょう。この大震災では亘理町も甚大な被害を受け、亘理町出身の日本女子サッカー選手であった佐藤 恵利子(さとうえりこ)は、津波に巻き込まれて多くの人とともに犠牲となりました。
少し暗い話が続きました。話題を明るくすると、演歌歌手の水森かおりは、そのご当地ソング歌手でも有名ですが、水森かおりは、「亘理の冬」を歌い、この町を有名にしています。
かつて伊達正宗が食したことで日本の食文化にその名を刻んだはらこ飯は、今では郷土料理の域を脱して全国で愛される一品としての名声を確立していて、これからも多くの人に愛されつづけることでしょう。
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